この数日間でUDOKに起きたこと

post by Riken


なんとなくブログにまとめることが億劫になってしまうくらいに、この数日間でUDOKに起きていたことは刺激的でした。


5月1日 UDOKに入居。


いわき小名浜の銀座商店街に、20坪の物件を借りました。
決断から契約、入居まで1週間もないという駆け足でのスタート。
まだまだ何もないただの倉庫のような場所ですが、僕たちの夢の第一歩です。
待ちに待った、という感慨もひとしおでしたが、なるべくしてなった、という感覚のほうが強く、
だいぶ興奮していた丹(UDOK共同代表)と比べて、僕はどことなく冷静でいることができました。
でも、静かにふつふつと燃えるものは、ありましたけれども。


この日は、福島市を中心に「うつくしまふくしま」をモットーに建築活動をしている
BHIStudioのアサノコウタくんが来雨(UDOKに来るという意味の造語)。
震災前から、アサノくんの活動についてはすごく共感するところがあり、
これまで何度か連絡を取り合ってきたのですが、こうしてOPENの日に迎えることができ、うれしかったです。
これからは、浜通り中通り会津と、県内3地区を結ぶ動きができればと方向性を確認しあいました。
建築やデザインという言葉をキーワードに、福島でもこんなかっちょいいもんができるのか、
ってことを実践していければと思っています。





5月4日 opening partyを開催。


新潟は加茂から、ファッションブランドanteprimaの広報としても活躍していたツルマキアヤコさんが来雨。
いわきへの移住を予定しているツルマキさんには、UDOKの広報・PRでのご協力を頂きたい、ということで、
オープニングを前にさっそくご案内(そしてお手伝いもしてもらう)。






正午からは、オープニングイベント「弔いの壁の作成」も開始。
この「弔いの壁」は、311以降の古新聞を使ってコラージュを作ってしまおうという作品です。
見出しや写真、記事を切り抜き、壁にのり付けしていきます。
古新聞の記事で壁紙を作ってしまう、というイメージでしょうか。


311以降の新聞を壁に閉じ込めることで、被災し、命を落とした方々への弔いを表すとともに、
復興へ向けた第一歩を刻もうというメッセージを発する意図があります。


古い日本家屋のふすまや壁から、江戸時代頃の古文書などが見つかることがあります。
これは、誰かに宛てて書いた手紙や要らなくなった契約書などをふすまや壁の下紙として使っていた、
ということに由来するもなのですが、
その時代のドメスティックなものをふすまや壁の下地に使ってしまうというおおらかさ、
意図せずそれを見つけた時の歴史的価値やサプライズといったものから、「弔いの壁」の着想を得ました。


新聞記事を使ったのは、その写真や記事に歴史保存の価値があるからですが、
当時の報道がいかに煽動的だったか、という検証にもなりますし、
被災者としての「マスメディア報道なんて信じられないぜ!」という義憤のようなものも
壁に閉じ込めてしまいたかったのです。


壁の大きさが10×2.5メートルもありますので、完成の日はだいぶ先になると思いますが、
少しずつ、みんなで作っていきたいと思います。
新聞をご提供頂いたみなさん、当日相当お手伝い頂いたテツさんと涼くん、ありがとうございました!



僕が壁の制作にあたっている頃、丹は雨読のプラットフォームとするべく、大きなテーブルを制作しました。
何の変哲もないサブロク板を使って、ゼロから作っていきます。
大事なのは、ないものはじぶんで作るという「まんまクリエイティブ」の感性。



と、そこに、なんと新潟の長岡から設計士&木工職人&大工チームが来雨!
皆さんは、丹が長岡造形大学院時代に交友を深めて来た “仲間” なのですが、
これには僕も丹も驚きと同時にうれしさと感謝の気持ちでいっぱいでした。
その感謝の気持ちを表すべく、ちゃっかりテーブルづくりを手伝ってもらっちゃいました。



まともな工具がないなか(申し訳ないっ!)、見事すぎる手際でテーブルをこさえていってしまう皆さん。
「今ある材料と道具で作る」という、ものづくりの神髄を見せてもらったような気がします。
ほんとうに、ありがとうございました。
それにしてもみんな、イケメンです。天は二物を与えるんですね。


そして、できたてのテーブルにお酒を乗せてパーティの始まり!!!




長岡造形大学の山下秀之先生から頂いた久保田の生原酒は最高にうまかったです。
また、小名浜鮮魚店・さすいちの小野嘉子さんからは、被災し、泥をかぶりながらも生き残った瓶ビールや紹興酒なども頂きました。
さすいちは津波で被災してしまい、再開の目処も立っていないという状況なのだそうですが、
そんな中で足を運んでくれ、お酒を提供してくれた嘉子さんに、感謝の言葉もありません。
ただ「うまい」という酒であるだけでなく、心に火を灯してくれる酒でもありました。
ありがとうございました。


長岡の皆さんは、残念ながら数時間で帰ってしまったのですが、
その後も、いわきの、小名浜の仲間たちが続々と来雨してくれ、
夜が更けた後も、賑やかな宴が続きました。
ちなみに長岡チームは「スバル・サンバー」での来雨で、ぶっ壊れる可能性があるので下道で往復だったそうです。
そういう「無謀」なところが、「まんまクリエイティブ」の源泉でもあるのですね。


そして、オープニングパーティ夜の部では、スペシャルゲストのナカジマシゲタカくんが来雨。
前述したアサノくんに紹介してもらったグラフィティアーティストなのですが、
本業は、建築家・伊東豊雄さんの事務所で働く建築設計士という異色のアーティストです。
自己紹介もほどほどに、さっそくライブベイントをして頂きました。





漢字のほうがスペースのイメージに合うだろう、ということで「晴耕雨読」の四文字。
地下に根を張り、粘り強く空に向かって手を広げる瑞々しいマングローブのようなライティングに、
僕も丹も、思わず感動してしまいました。
壁に直接描いてしまうという大胆不敵さや社会に与えるメッセージ性、
ほんとうに、UDOKにぴったりのグラフィティだと思います。


それにしてもナカジマくん、人間的にすごく魅力のある男でした。
建築やグラフィティについてもいろいろ話をさせてもらいましたが、
きめ細やかな感性が随所に感じられ、とてもわくわくできました。
いわき出身のラッパー狐火とも関係が深いそうなので、
「いわきつながり」で、今後もがっつり絡んでいきたいです。


肝心のグラフィティですが、今どんな風になっているかは、ぜひ、UDOKに直接お越し頂いて、ご覧下さい!!!



とまあ、駆け足でこの数日間を振り返ってきましたが、
県内外からほんとうにたくさんの人にお越し頂いて、感謝の気持ちでいっぱいです。
ここでは紹介しきれませんでしたが、“いつもの仲間たち” も続々とやってきてくれ、
オープンを祝福してくれたこと、一生の思い出になりました。
この「小名浜」で、こういう夢のようなスペースを始めることができて、僕たちはほんとに幸せ者です。


今後は、この場所を少しずつ「海辺の畑」にしていきながら、
豊かな「雨読」をライフスタイルに組み込んでいけるクリエイティブな場所づくりを目指していこうと思います。
できるだけはやくウェブサイトも構築したいと思ってます。


オープン時間、イベントなど、不定期ですので、
このブログ、または、僕か丹のツイッターをチェックください!!!!


今後とも、UDOK、よろしく、おねがいします。



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