雨読ができるまで
晴耕雨読という言葉があります。
晴れの日はひねもす畑をたがやし、雨が降れば、ゆったりと読書にいそしむ。
そんなゆとりあるライフスタイルは、私たちのあこがれです。
もちろんかつての農民には、貧窮に耐えながら田畑を耕す以外に生きる糧はなく、
雨が降ったからといって読書にうつつを抜かしていられる余裕などなかったことでしょう。
「晴耕雨読」とは、その実、ゆとりあるひとたちの「悠々自適」の代名詞でもあったのです。
「悠々自適」な生活というものは、
困難を克服した人にこそ準備された「ごちそう」のようなものなのかもしれない。
だから、「雨読ができるまで」というこのブログは、
私たちの希望に反して、その境地に立つまでの「困難の記録」になるかもしれません。
正直、「雨読」が果たしてなんなのか、どこまで行けば完成なのか、
私たちにも、まだはっきりとはわからないところがあります。
ただ、私たちが、「雨読」ということばにただならぬ魅力を感じているということ、
そして、「雨読」ということばに置き換えられる新しいライフスタイルをつくっていきたいということ、
この2つのことだけは、はっきりとわかっているつもりです。
雨読ができるまで。
この先、どんなことが起きるかわかりませんが、
「雨読ができるまで」の日々を綴ることで、
わたしたちが暮らすこの小名浜というまちが失いかけたなにかが、
いつの日かひょっこりと顔を出してくれたら。
初回なのになんだか重くるしい決意表明になってしまいましたが、
そう、放課後の部活みたいなテンションで「雨読」のことを考えていけたらなぁと、
そんなふうに考えています。
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